先週木曜日、オレにとって、とっても大事な人が他界した。
伯母さんである。母の3番目の姉であるが、凄く近所に住んでいて、俺の成長をずっと見てきてくれた人。だって、オレの母(8人兄弟の7番目、女で4人中4番目)の1つ上の姉で、凄く近くに住んでるもんだから、俺(中学卒業で家を出る)の中学の頃まで毎日、ホント毎日、我が家の先に家があるあるおばちゃんが、仕事終わると、我が家に寄ってくれて、ウチの母(つまり妹)と、何度も言うけどほとんど毎日、ずっとおしゃべりしてるの、ウチの家で。ものすごく仲が良いんだから。
うちの母は、女4人の一番の妹ということと、持前の控えめな性格で、上の姉三人からものすごく可愛がられていて、オレも母の息子というだけで、そのおばちゃん三人から、凄くかわいがっていただき、何のときにでもいつも気にしてくれて、小さい頃なんて、三家族から、ホントものすごいお年玉(コレ、ホントもの凄い、たぶんみんな想像を絶するくらい)を頂いたり、色々な事で色々贈ってくれたり・・・。なかでも三番目のおばちゃん通称「田口のおばちゃん」は、先に書いたように、毎日我が家で会っていたような人で、いつも笑顔でオレに「お帰り!!たぁちゃん今日は学校楽しかった??」なんて言ってくれて。
オレが自転車初めて乗った頃、オレが喜んでいるのを見ていてくれたのは田口のおばちゃん。
オレが反抗期の頃、オレと母の激しい口げんかを聞いているのは田口のおばちゃん。
オレが東京から地元に息子たちを連れて帰ってきて、息子たちもすごく可愛がってくれた。
オレの息子たちにとって、「田口のおばちゃん」は、”牛乳かん”のおばちゃんだ。おばちゃんがある日、我が家の息子たちのために、牛乳寒天のなかにみかんの果実を混ぜた”牛乳かん”を作って届けてくれて・・・。
その牛乳かんを食べた息子たちは、そのおいしさを味わい、大フィーバー!
おばちゃんが来るたびに2階から玄関に駆け込み、「田口のおばちゃん!今日も牛乳かん作ってきてくれた!??えっ、作ってきてくれなかったの?なんだぁ・・・。」って言うもんだから、おばちゃん、我が家に来るときには、絶対に作って来なきゃいけなくなっちゃって(笑)。おばちゃんも、嬉しかったろうな。
そのおばちゃん、10年位前から、ずっと病を患っていて、12月、もう年は越せないって言われていた。
入院しているおばちゃんのためにKentaroが兄弟代表してかなり長い手紙を書いたんだけど、その内容の一部が「おばちゃんの牛乳かんをまた食べたいよ。元気になって僕達に牛乳かんをつくってね。」というもの。
もう目が見えなくなってしまったおばちゃんは、見舞いに来た人に、何人にも、何回も、「その手紙をまた読んで!」 と言っていたらしい。それは、昨日の葬式で、何人にもオレと息子が言われた。おばちゃん、嬉しかったんだろうな。
その手紙を棺に入れたかったんだけど、どうやら、おばちゃんのバックに大事にしまっていたらしく、葬儀当日、その場にはなかった。息子たちは、Kentaroの号令で、「じゃぁ、短くても良いから、もう一度、今書いて、棺に入れようぜ!!」ってことで、写真のメッセージを書いてくれた。オレは、棺のなかのおばちゃんの「胸元に置いてあげて」っと伝えた。おばちゃん、喜んでいると思う。
おばちゃん、ありがとう。
天国では、なおちゃんが色々教えてくれるから心配しないで安心して暮らしてね。
おばちゃん、ありがとう・・。ありがとう・・・。ありがとうございました。
PR
COMMENT