先週日曜日、何とか峠を越した東京のおじいちゃん(オレからすると義父)、糖尿病でずっと苦しんでいたおじいちゃん、72歳の人生を全うして、次の日(11/19)の未明、息をひきとった。いい顔してたよ、病人じゃないみたい。満足そうな顔でね。若干短くても、太い人生だったと思う。
毎日タキシード着て、東京大手町と日本橋の料亭の支配人をしていた。この頃、「オレは、週に2日休みがあると気持ちが悪くなっちゃうんだよぉ、休みは1日だけでいい、働きたくなっちゃう。」って言ってた。
定年後は御茶ノ水で駿台予備校の警備員をしていた。おじいちゃんは基本「イケメンダンディー系」だったので、女子予備校生に”大モテ”で、バレンタインチョコをたくさんもらってきたり、「おじさん!大学受かったよ!!」って何人にも報告を受けたことを、オレと酒を飲むときに自慢げに言っていた。
東京赤羽、おじいちゃんの街だ。オレはこの街で、何回も深夜に吐いた・・。おじいちゃんが酒豪だからだ。オレが来ると酒の相手がいるってことで、自宅で楽しみに待っていた。おじいちゃんの晩酌は、毎日ビールから始まり、普通は焼酎なんだけど、オレが来たときは自分が好きな日本酒にいく。
おじいちゃんはピッチが早いから、ついていくのが大変なんだ。ついていかなければいいんだけど、がんばるのは、おじいちゃんに対するオレの礼儀。だから、おじいちゃんと飲んだあと、自宅から赤羽駅までの徒歩5分は、その日20分くらいになる。
そんなおじいちゃんも、晩年は糖尿病に苦しみ、白内障手術、脳梗塞で半身不随、左足指切断→左足ひざ下切断、複数臓器不全、というようにだんだん元気が無くなった。でも、そんな状況で酒が飲めなくなっても、かわいい孫に会うのが楽しみで、それを楽しみに毎日を過ごしていた。
だから、孫であるKentaro、Yamato、Shinには、おじいちゃんの葬儀にあたり、オレから役割を与えた。おじいちゃんがみんなに気持ちよく見送られるために、裏方の仕事をするんだ。おじいちゃんもすぐそこからそんな立派な孫を見ている。
①オレ → 受付 ・ 親族代表挨拶
②Shin → 香典返しをお渡しする ・ 孫からお別れの言葉
③Yamato → 香典金額を合わせる、ナンバーリングで識別 ・ 孫からお別れの言葉
④Kentaro → パソコンデータ管理(会葬者と香典金額) ・ 孫からお別れの言葉
受付にお越しになった皆さまは、みんな受付のオレに言ってたよ「えっ、お子さんが金勘定とかやってるんですか??」ってね。
「はいそうです。しっかり私が管理していますのでご安心ください。おじいちゃんのために役に立ちたいということで手伝ってくれています」っと返す。
彼らのおかげで、受付者が和ましい表情をしてくれる。特にShinは、にこやかな顔で香典返しをお渡ししたり、おしゃべりしたり(笑)。
こんな感じで、なんかすぐおじちゃんとかひざに乗っちゃうし、おんぶとか肩車とかしてるし・・(笑)。コイツがいなけりゃ、暗い葬式だったろう。Shinで場の雰囲気が全然変わった。ホントに人懐っこくて「わんわんみたいだねぇ」っと、皆さんに大人気!ということで、途中からShinはご会葬者の「お話し相手」に役割変更!
そんなShin、「孫からお別れの言葉」で壇上に立って、おじいちゃんに最後のお別れの言葉を読み上げた際に・・・
あの破天荒Shinが・・・・、途中から泣きながら・・・、声を振り絞って・・・、何とか最後まで読み上げた。
続くYamatoも同じく・・・。Kentaroは途中詰まったが、一息ぐっとこらえ、2枚にわたる長文を読み上げた。
受付の人懐っこいShinを見ていた会葬者は皆涙した。オレもこらえきれず泣いた・・。Yamatoはそのあとも30分くらいずっと泣いていた。
子供たちの立派な働きぶりに、おじいちゃんは安心しているだろう。
おじいちゃん、今まで本当にありがとう。 そしてお前たち、よくやった!